福島市の北部にある飯坂温泉は摺上川沿いに大小様々な宿が軒を連ねる一大温泉地。鳴子温泉、秋保温泉と共に奥州三名湯に数えられる東北きっての温泉地の開湯は2世紀ごろ、日本武尊の東征まで遡るとか。
江戸時代には「奥の細道」で芭蕉が「…其ノ夜飯坂ニトマル。温泉アレバ湯ニ入リテ宿ヲ借ル…」と記している。大型の宿の多いイメージの温泉街だが明治以来の古い宿や松尾芭蕉像や与謝野晶子の歌碑が点在する由緒ある歴史も感じさせてくれる。平安時代、「佐波来湯」(さはこゆ)という名が和歌で詠まれており、飯坂温泉の原型であったとされる。その名が受け継がれた共同浴場「鯖湖湯」(さばこゆ)は芭蕉も浸かったとされる飯坂温泉のシンボル的存在なのです。

その鯖湖湯の手前に添うように4つの湯宿が点在する。中でも白壁に赤瓦の美しいコントラストをみせる3階建て白壁土蔵造りの威風堂々たる佇まいが「なかむらや旅館」さん。

建物二階部分にはなかむらやの紋所と以前の花菱屋の紋所が並ぶ。(写真は花菱の紋所)

入浴をお願いすると奥の暖簾の先からまーるい笑顔で女将さんが迎えてくれ浴場まで案内してくださいました。

なかむらやの紋所「丸に違い鷹の羽」をくぐった廊下の先にある浴場「與右衛門の湯」(よえもん)。

與右衛門の湯は1993年に「鯖湖湯」が新たに再建された際、それまで湯殿でつかわれていた石が廃材となることに女将さんが心を痛め、どうにかこの石を残すことはできないかと考えた末、宿の湯殿で再利用する事を決心。女将さんの熱いパッションとガッツが生み出した湯殿なのだ。
この石は1911年、与謝野晶子が鯖湖湯に浸かった際、「わがひたる寒水石の湯槽にも月のさし入る飯坂の里」と詠んだ「寒水石」がまさにそれなのだ。

白壁に黒御影石で縁どりされた浴槽がひとつ、無駄のない清々しい空間。あちちな鯖湖湯の湯がワン・バウンド、ツー・バウンドで浴槽に注がれる。新鮮でクリアな湯はカツっと熱め。

床や浴槽内につかわれた寒水石。もともと白っぽい寒水石がながい年月と共に変色し、深みのあるセピア色を成す。往時の鯖湖湯をしのぶステキな湯浴みができるのです。

土蔵造りというのは外の音を遮断する効果が高く館内はとても静かな空間になっている。やさしいボリュームでジャズが流れていた。お手洗いに繋がる通路も見応えある博物館クラス。所々に置かれたアンティークな調度品に目を釘付けにされる。AC/DCやメタリカが流れるような雰囲気ではない。

お手洗いも博物館級。透かし彫りがついた扉や美しい硝子絵などの往時の贅を凝らした意匠にうっとり。さらにこれらが明治時代に造られ、いまだ現役で美しい状態で現存しているのに驚かされてしまう。
なかむらやさんも2011年の東日本大震災で建物に大きな打撃を受けたそうです。江戸館の2階と3階の間の太い柱が数本折れ、震災後文化財に詳しい大工さんとの話し合いでは「江戸館を取り壊し新たに再建できるが10億円もの予算がかかる」と。一時期は閉館も考えたそうですが、そんな折、常連客からの?咤激励をもらい復活へと心がうごいたそうです。

先代たちが乗り越えてきた苦難やもっと大きな被害を受けた浜通りの方々のことを想うとここで終わらすわけにはいかないと自然に力が湧いたとのこと。それから建築士さん、大工さんと話し合い、時には大喧嘩もしながらなんとか匠の知恵とアイデアで修繕という形で復活を成し遂げました。
そんな話を女将さんが帳場のある囲炉裏で実に楽しげに話してくださいました。なかむらやさんでは湯だけではなく、女将さんからも英気と勇気を養えました。ありがとう 女将さん!では皆さん、健康で素敵な湯巡りを。(訪2017年末)
名称 「なかむらや旅館」所在地 福島県福島市飯坂町湯沢18番地
アクセス 福島交通飯坂線飯坂温泉駅より徒歩約5分
電話 024-542-4050
(2018年5月7日公開)
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