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【歴史を巡る】いまだ人気は衰えず!大河ドラマ「真田丸」の聖地巡りで群馬・長野・和歌山・大阪へ

【歴史を巡る】いまだ人気は衰えず!大河ドラマ「真田丸」の聖地巡りで群馬・長野・和歌山・大阪へ

堺雅人や大泉洋、草刈正雄、星野源など豪華な配役もあって久しぶりにお茶の間の話題を集めた大河ドラマ「真田丸」。舞台となった群馬県、長野県を中心に、蟄居先の和歌山県、最後の舞台となった大阪など、ゆかりのスポットの「今」を紹介します。

〈群馬〉戦国時代の舞台「上州真田三名城」が揃って続日本100名城に!

真田氏の発祥は信濃国。江戸時代もやはり信濃国の松代藩主として幕末まで統治したので、“真田”といえば長野イメージが強いのですが、ドラマの序盤、激動の戦国時代においては、群馬県が物語の舞台となりました。

主な舞台は3カ所あります。

1つ目は「東吾妻町」。主人公・真田幸村の祖父・幸綱が甲斐の武田信玄に従い、上野(こうずけ・現在の群馬)を攻め、現在の東吾妻町にある「岩櫃(いわびつ)城」を攻略しました。

2つ目が「沼田市」。真田家の家督を継いだ幸村の父・昌幸が、武田信玄の子・勝頼に「沼田城」の攻略を命じられ、これを見事に成し遂げます。

3つ目は「みなかみ町」。沼田城を攻めるための前線基地として建てられた「名胡桃(なぐるみ)城」がありました。

この、3市町にある「岩櫃城」「沼田城」「名胡桃城」を『上州真田三名城』といい、放送中は観光客が大勢訪れたそうです。放送終了後も、2017年4月に「続日本100名城」に選ばれたことで、再び注目を集めています。いずれも、「真田街道」と呼ばれる国道145号線沿いにあり、直線距離で30km足らず。車なら一日で十分に回れます。草津や水上など群馬県が誇る“名湯”に立ち寄ってのんびりするのもいいかもしれませんね。

岩櫃城

山城である「岩櫃城」。登山は4月からですが、4合目の本丸跡には通年行けます。(Ⓒ東吾妻町)

沼田城、城址公園の桜まつり

「沼田城」の城址公園には400本の桜が植えられ、毎年4月に桜まつりを開催。

名胡桃城址

「名胡桃城」はドラマ放送をきっかけに、きれいに整備されました。

名称  岩櫃城址

所在地 群馬県吾妻郡東吾妻町原町

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名称  沼田城址

所在地 群馬県沼田市西倉内町594沼田公園

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名称  名胡桃城址

所在地 群馬県利根郡みなかみ町下津

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〈長野〉「真田丸」出演の俳優が“プレジデント”に就任!?

真田家発祥の地である長野県には、真田家ゆかりの場所が盛りだくさん!

例えば、松代藩主として真田十万石の城下町を築き上げた「松代町」には、明治維新を迎えるまで10代にわたる真田氏ゆかりの名所や品々が数多く残されています。

しかし、一番の真田丸の聖地といえば「上田市」でしょう。

真田幸村の父・昌幸によって築城された「上田城」は徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られており、日本百名城にも認定されています。

上田城

難攻不落と言われた名城「上田城」

ドラマ放送時にオープンした「信州上田真田丸大河ドラマ館」には延べ103万人が来場。放送終了後も特別企画展としてゆかりの品などを展示。そちらも現在は終了していますが、2018年3月1日からは、上田城跡公園内にある「上田市立博物館」に、一部の展示は引き継がれます。

4月7日からは「上田城千本桜まつり」、4月29日からは「上田真田まつり」と、上田城跡公園を会場にした大きなイベントも行われる予定です。

なお、真田昌幸を演じた草刈正雄さんが「信州上田観光プレジデント」に就任。草刈さんをモデルにしたポスターが街を彩っています。

上田真田まつり

「上田真田まつり」では赤揃えの甲冑に身を包んだ真田鉄砲隊の実演が見もの。

真田昌幸役、草刈正雄さんのポスター

観光プレジデントに就任した真田昌幸役・草刈正雄さんのポスター。

名称  上田城跡

所在地 長野県上田市二の丸6263番地イ

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〈和歌山〉幸村も歩いた? 世界遺産の道

関ヶ原の戦いで西軍側についた真田幸村は、父・昌幸とともに高野山の麓の里「九度山」に蟄居を命じられました。ここで幸村は、生涯で一番長い14年間を家族、家来と過ごしました。

蟄居した庵の跡には現在「善名称院(ぜんみょうしょういん)」という高野山真言宗の寺院が建ち、別名「真田庵」と呼ばれています。境内には瓦や門、絵馬など至る所に真田氏旗印である六文銭があしらわれ、さらには昌幸の墓や真田宝物資料館などもあり、今なお真田丸ファンを喜ばせています。5月4日・5日に行われる恒例の「紀州九度山 真田まつり」では、武者行列のゴール地点にもなっています。

善名称院

「善名称院」別名真田庵は真田幸村父子の屋敷跡に建てられた。(Ⓒ公益社団法人和歌山県観光連盟)

もう一カ所、訪ねて欲しいのが「高野山町石道(ちょういしみち)」です。当初は高野山で蟄居を命じられた昌幸・幸村父子でしたが、妻子との生活が許されたため、当時女人禁制であった高野山から寺領の九度山へ移ったという経緯があります。

その際に歩いたとされるのが「高野山町石道」です。慈尊院から壇上伽藍の大塔まで約22kmの道のりで、一町(約109m)ごとに石の卒塔婆が計180本置かれていることからこう呼ばれています。知る人ぞ知る真田丸ゆかりのスポットです。

町石道

高野山に通じる「町石道」はトレッキングコースとしても人気(Ⓒ公益社団法人和歌山県観光連盟)

名称  善名称院(真田庵)

所在地 和歌山県伊都郡九度山町九度山1413

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名称  慈尊院(高野山町石道スタート地点)

所在地 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832

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〈大阪〉行列ができた“ご朱印”も今はすんなり!

大阪冬の陣で真田幸村が築いた大坂城の出城「真田丸」は、現在の「大阪市天王寺区」にありました。ドラマ放送開始に合わせ、「真田丸」があったとされる大阪明星学園の地に顕彰碑が建立。幸村ゆかりの名所・旧跡11カ所を辿る「真田幸村めぐルート」も設定され、それらを案内するロードサインも真田山エリアに15カ所、天王寺エリアに8カ所設置されました。

真田丸顕彰碑

真田丸があったとされる地に立つ「真田丸顕彰碑」

天王寺区役所の担当者によると、ドラマ放送時、多くの真田丸ファンが押し寄せたのは「安居神社」。家康と戦って傷ついた幸村が、この神社まで逃れてきたところを敵兵に襲われ、戦死した場所です。戦死跡の碑も残っています。放送中は神社のご朱印を求める行列ができたそうですが、今はあまり並ばなくても頂けるとのこと。

安居神社

幸村終焉の地「安居神社」。記念碑や死を覚悟し座す幸村の像も(Ⓒ播間公次)

その他、幸村ゆかりの名所・旧跡が数多く区内には存在。巡り歩きに便利なマップは、天王寺区役所のホームページからダウンロードできます。

また、真田丸の様子を再現した「真田丸復元ジオラマ」が区役所の1階に展示されていますので、あわせて足を運んでみてはいかがでしょう。

名称  真田丸顕彰碑

所在地 大阪府天王寺区餌差町5-44 大阪明星学園テニスコート東側

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名称  安居神社

所在地 大阪府大阪市天王寺区逢阪1丁目3-24

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今も衰えない大河ドラマ「真田丸」人気。その聖地は、温泉が近くにあったり、歩いて回れる市街地にあったりとバラエティに富みます。群馬と長野、和歌山と大阪とはそれぞれ近いので、関東エリア、関西エリアと分けて訪ねてみてもいいでしょう。放送が終わった今なら、マイペースでのんびりとめぐることができると思いますよ。

(2018年3月21日公開)