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【歴史を巡る】話題沸騰!大河ドラマ『西郷どん』 ゆかりの地を西郷隆盛の生涯に沿って巡る〜鹿児島市ほか〜

【歴史を巡る】話題沸騰!大河ドラマ『西郷どん』 ゆかりの地を西郷隆盛の生涯に沿って巡る〜鹿児島市ほか〜

西郷隆盛役の鈴木亮平さんや、島津斉彬役の渡辺謙さんらの熱い演技が話題の大河ドラマ「西郷どん」。西郷隆盛が生まれ育ち、そして人生の幕を降ろした場所である鹿児島はいま、観光客で溢れています。ぜひ西郷ゆかりの地を訪ねてみたい!という人も多いと思いますが、ゆかりの地は県内各所に(そこれこそ奄美大島や徳之島にも!)あるので、一度にすべて巡るのは大変……。そこで今回は、徒歩や公共交通機関を使って回れる鹿児島市内のゆかりの地を、西郷隆盛の生涯に沿って紹介します。そして、西郷が愛した温泉も。さあ、幕末の旅に出発しましょう!

1、未来の豪傑の芽吹きを感じる

西郷隆盛は、文政10年(1827年)、鹿児島城下の下加治屋町(現在の鹿児島市加治屋町)で生まれました。下級藩士でしたが、薩摩藩主・島津斉彬に見出され、めきめきと頭角を現していきます。

「西郷隆盛生誕の地」

西郷隆盛生誕の地

西郷隆盛の育った家は、鹿児島城下を流れる甲突川の近くにあり、今は公園になっています。加冶屋町は、西郷の他、大久保利通、大山巌、東郷平八郎など明治維新で活躍した多くの偉人を輩出しています。それは、鹿児島独特の「郷中(ごじゅう)教育」のおかげかもしれません。町内を一つの「郷中」というグループにまとめ、年長者が年少者の教育を行っていました。西郷も郷中で、武士としての心構えを小さい頃から学んだのです。

名称 西郷隆盛生誕の地

住所 鹿児島県鹿児島市加治屋町

交通アクセス JR鹿児島中央駅より徒歩9分

「仙巌園・尚古集成館」

仙巌園・尚古集成館

(写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟)

西郷隆盛を見いだした島津斉彬が興した「集成館事業」が行われた場所。尚古集成館本館や仙巌園内の反射炉跡を見ることができます。

名称 仙巌園・尚古集成館

所在地 鹿児島市吉野町9700-1

電話 099-247-1551

ホームページ

「維新ふるさと館」もおすすめ

維新ふるさと館

(写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟)

「西郷隆盛生誕の地」から徒歩わずか1分。幕末の様子がわかる展示、ドラマ上映も充実。西郷隆盛が活躍した時代背景を詳しく知ることができます。

名称 維新ふるさと館

所在地 鹿児島県鹿児島市加治屋町23-1

電話 099-239-7700

ホームページ

2.不遇の時代に西郷は……

島津斉彬が急逝すると、後ろ盾を失った西郷は、奄美大島や徳之島、沖永良部島へ流されるなど、不遇の時代を迎えます。しかし、このつらい時期があったからこそ、西郷の“人間力”は磨かれたに違いありません。

「西郷南洲翁宅地跡」

西郷南洲翁宅地跡

祖父、父、母を相次いで失った西郷隆盛が、安政2年(1855年)、29歳の頃に下加治屋町の屋敷を売ってこの地に移って来ました。後に坂本龍馬も訪れたそうです。

名称 西郷南洲翁宅地跡

所在地 鹿児島県鹿児島市中央町(共研公園内)

(共研公園の北口入口※ナポリ通り沿い)

交通アクセス JR鹿児島中央駅より徒歩5分

「西郷隆盛蘇生の家」

西郷隆盛蘇生の家

安政5年(1858年)11月16日の明け方近く、西郷と月照は抱き合って錦江湾に身を投じました。月照は、安政の大獄により幕府の罪人として追われる身。西郷と薩摩へ逃げてきたのですが、島津斉彬亡き後の藩内はとても罪人をかくまうような状態ではありません。見捨てられた二人は悲観し、“心中”しようと決意しました。しかし、月照だけが帰らぬ人となり、西郷は息を吹き返しました。一人生き残ったことを知った西郷は、自らを「土中の死骨」と呼び、生涯恥じたそうです。

名称 西郷隆盛蘇生の家

所在地 鹿児島県鹿児島市吉野町

交通アクセス JR鹿児島中央駅よりバスで約20分「花倉」下車すぐ

3、西郷、日本初の陸軍大将に!

表舞台に戻った西郷は、禁門の変や幕長戦争で大きな働きをし、特に戊辰戦争では官軍の参謀として活躍、明治政府樹立の立役者となりました。特に勝海舟との話し合いによる江戸城無血開城は、歴史的偉業としてその名を日本史にとどめています。

「西郷隆盛像」

西郷隆盛像

没後50年祭記念として、鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけて製作、昭和12年(1937年)5月23日に完成した銅像です。日本初の陸軍大将の軍服姿で、城山を背景に毅然と立つ姿はまさに威風堂々としています。

名称 西郷隆盛像

所在地 鹿児島県鹿児島市城山町4-36

交通アクセス 市電「朝日通」、バス「金生町」下車、徒歩8分

またはカゴシマシティビュー「西郷隆盛像前」下車すぐ

4、政権争いに破れ、再び故郷・鹿児島へ……

西郷は明治維新後、新政府の参議として日本の舵取りをしましたが、政府内での意見対立から、職を辞して鹿児島へと戻ります。その後は私学校を開設し、若者の教育などにあたりました。

「西郷隆盛武家屋敷跡」

西郷隆盛武家屋敷跡

西郷が明治6年(1873年)に鹿児島に帰ってから、明治10年(1877年)西南戦争が起こるまでの約3年3ヶ月を暮しました。現在は公園になっていて、元庄内藩の家老・菅実秀と語り合う銅像があります。

名称 西郷隆盛武家屋敷跡

所在地 鹿児島県鹿児島市武2-28-7

交通アクセス JR鹿児島中央駅より徒歩10分

「私学校跡石塀」

私学校跡石塀

西郷は、ともに新政府の役職を辞め鹿児島へ戻ってきた人々を中心に、私学校を設立しました。兵士の養成が目的でしたが、やがて旧士族の不平不満の受け皿にもなり、後に西南戦争へとつながっていきます。

名称 私学校跡石塀

所在地 鹿児島県鹿児島市城山町8

交通アクセス 市電「水族館口駅」より徒歩4分 またはカゴシマシティビュー「西郷洞窟前」より徒歩8分

5、巨星墜つ。西郷終焉の地を巡る。

新政府のやり方に対する不平不満がついに暴発。西郷を旗頭に、西南戦争が起こりました。西郷軍には九州各地から多くの士族が応援に加わり、激しい戦いが繰り広げられました。しかし、結局は負けてしまい、西郷は城山で自ら命を絶ちました。

「西郷隆盛洞窟」

西郷隆盛洞窟

明治10年(1877年)9月、西郷軍は城山に立て籠もりました。西郷が最後の5日間を過ごしたのがこの洞窟と伝えられています。

名称 西郷隆盛洞

所在地 鹿児島県鹿児島市城山町

交通アクセス カゴシマシティビュー「西郷洞窟前」下車すぐ

「西郷隆盛終焉の地」

西郷隆盛終焉の地

明治10(1877)年9月24日未明、城山を包囲した政府軍は一斉に砲撃を開始し、西郷軍は敵陣目がけて岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗を示しました。しかし、西郷は腰と太ももに銃弾を受け、遂にこの場所で自決。西南戦争の幕が降りました。

名称 西郷隆盛終焉の地

所在地 鹿児島県鹿児島市城山町

交通アクセス カゴシマシティービュー「薩摩義士碑前」バス停より徒歩5分

6、西郷が愛した温泉で、旅の疲れを癒やす

西郷隆盛は、部類の温泉好きとして知られました。鹿児島県内各地にゆかりの温泉があるのですが、その中で西郷が最も頻繁に訪れ、かつ鹿児島市内からも行きやすいのが日当山(ひなたやま)温泉です。

「日当山温泉」

日当山温泉

戊辰戦争から戻って来た明治元年(1868年)以降、訪れた記録が多数残っています。明治2年(1869年)には、藩主の島津忠義がわざわざこの地に西郷を訪ねて来ました。家族を伴っても湯治に訪れたそう。公私共に愛した温泉といえます。

名称 日当山温泉

所在地 霧島市隼人町

交通アクセス JR日当山駅より徒歩約7分 隼人西ICより車で約15分、溝辺鹿児島空港ICより車で約15分。

ホームページ

西郷隆盛の生涯を巡る旅、いかがでしたか?

今回ご紹介したスポットの多くが「町めぐりバス」や「カゴシマシティビュー」などの公共交通機関を使って巡ることができます。ただし1日で回ろうと思うと相当駆け足になるので、1泊2日以上の余裕あるスケジュールをおすすめします。

なお、鹿児島県内の西郷隆盛ゆかりの地や鹿児島の観光地について詳しくは以下のサイトをご参照ください。

「西郷どん」キャンペーン公式ウェブサイト

http://segodondon.jp/

鹿児島県観光サイト

http://www.kagoshima-kankou.com/

(2018年4月8日公開)

squidmania
旅行ライター。雑誌やWebなどでグルメ・お酒などを交えた旅行記事を執筆しています。